19才の普通の人間、そして最も有名な逃亡者
写真は Peter Leibing撮影によるポストカードより それは一瞬の出来事。 そしてその先にあったのは、自由か?苦悩か? ハンス・コンラッド・シューマンは、1942年3月28日東ベルリンに生まれた。 1961年8月15日。ベルリンが東西に分裂された3日目、東ベルリンの兵士だった彼はまだ鉄条網に過ぎなかった境界線を飛び越えたのだ。 カメラマンPeter Leibingによってその瞬間が永遠に記録されることとなった。 彼の意思とは関係なしに、彼は世界で最も有名な”逃亡者”となったのだ。 彼はその後、バイエルンに定住する。 彼は自由を勝ち得たのか? 1989年11月9日。ベルリンの壁が崩壊したとき彼は言った。「1989年11月9日から私は本当の自由を感じる」と。自由となったはずの28年間、かれは自由ではなかったのか? しかも、自由を感じたはずの壁が崩壊した後でさえ、彼は元同僚との摩擦によって彼の生まれ故郷よりもバイエルンの家で安らぎを感じたという。また彼の親や兄弟姉妹のもとを訪れることをためらったのだ。 彼は自由を勝ち得たのか? その答えは、彼の死が語っていないか? 1998年6月20日、彼は首吊り自殺した。 ***** 彼が飛び越えたのは、私が歩いたプランツラウアーベルク地区のBernauerstraseとRuppinerstraseとの角でした。 そこは、統一後の今現在も寂しい通りで、おしゃれなカフェやお店が連なる他の場所とは違っていました。 Bernauerstraseには、壁メモリアルとしてただひたすらに灰色の壁が残されています。 他の場所の壁にはカラフルな落書きがあって、一種観光名所の感がありますが、ここの壁はまったくそういう気持ちにはなりません。 「トンネル」という映画でも冒頭に、コンラッド・シューマンの西への脱出シーンがあります。 映画の題材になった逃亡のためのトンネルも、まさにこの場所にあったのです。 2つの出来事は、ほぼ同じ場所で起きていたのです。 私は、帰国してから色々調べて、そして偶然「トンネル」という映画をみたことでこの事実を知ったのです。 知らずに歩いていた道でしたが、どうしても忘れられない何かが私に残ったのも、その”場”が発する何かを感じずにはいられなかったのかもしれません。 彼の人生を追い詰めたのは、同じ人間が作り出したつまらない価値観。 いったい何の権利があって、同じ人間の自由や尊厳を踏みにじることができるのか。 何故、こんなばかげた決定に従わなくてはならないような上下関係が人間同士にあるのか。 どうしても、どうしても納得がいかない。 考えれば考えるほど文章で表せなくて、なかなか記事に出来ませんでした。 でもベルリンを紹介している以上、私に一番何かを与えてくれたこの場所のことをこれ以上後回しにはできない気がしました。 なんとか、一つだけこうして記事にしました。上手く表現できず申し訳ない思いです。 ほんとうに、忘れられない場所なのです。 ベルリンを再訪したら必ずまたここを歩くでしょう。 壁と壁の向かいに建つ資料館については、また改めて記事にします。
by madonotabi
| 2006-01-28 01:25
| ベルリン
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